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ジェフリー・バワのデザイン・レガシー
──スリランカ・モダニズムの先駆者はいかにして南アジアの家具、インテリア、ホスピタリティを形づくったのか

2026.07.11/ COLUMN
ジェフリー・バワのデザイン・レガシー
──スリランカ・モダニズムの先駆者はいかにして南アジアの家具、インテリア、ホスピタリティを形づくったのか

独立後のスリランカで、ジェフリー・バワは、自らの未来を切り拓こうとする新しい国家におけるモダンデザインのあり方を再定義した。経済的制約と社会的混乱のなかで、彼は創意工夫と抑制の美学を体現する建築や家具を生み出した。その仕事は、今なおこの地域のデザインを形づくっている。

すべてはベントタから始まった

黄金色の砂浜とターコイズブルーの海が広がるスリランカ南西海岸の町ベントタは、古くから多くの旅人を魅了してきた。独立から十余年を経た1960年代後半、新たに設立されたスリランカ政府観光局は、この地を国内初の「ナショナル・ホリデー・リゾート」に指定した。その開発計画を託されたのが、スリランカを代表する建築家の一人、ジェフリー・マニング・バワである。その後数年にわたり、彼はショッピング・ヴィレッジやタウンスクエアに加え、4つのホテル計画のうち、ベントタ・ビーチ・ホテルとセレンディブ・ホテル(現アヴァニ)という二つの象徴的なホテルの設計を手がけた。

 

ベントタのほど近くには、バワ自身のカントリーハウス「ルヌガンガ」があった。20代後半に購入した、かつてのゴム農園である。ルヌガンガを購入したことは、バワが弁護士から建築家へと転身する大きな転機となった。この農園を理想の空間へとつくり変えようとしたものの、設計に関する専門知識が不足していたため、その構想は思うように進まなかった。それでも彼はひるむことなく、コロンボの建築設計事務所エドワーズ・リード・アンド・ベッグ(ER&B)で見習いとして働き始める。しかし、わずか1年後にはロンドンのアーキテクチュラル・アソシエーション(AAスクール)に入学し、本格的に建築を学んだ。建築家として帰国したバワは、リードの設計事務所を引き継ぐ。38歳のときだった。

ルヌガンガのガーデンルームに置かれたオリジナルのダイニングテーブル

Lunuganga Dining Table

バワが帰国したとき、スリランカは大きく様変わりしていた。社会不安や政治的混迷、そして経済の不安定さに揺れる国となっていたのである。政権交代を繰り返すなかで導入された産業保護政策や、減少した外貨準備高を守るための施策により、海外製の建築資材や建材の輸入は禁止された。しかし、こうした規制――より広範な経済政策の一環として導入された措置――こそが、建築家バワの創造的な選択を方向づけることになる。限られた資材を最大限に生かさざるを得ない状況が、彼の創造性を育んだ。当初は障害と思われたものが、やがて新たな可能性へと変わる。バワはその制約を力に変え、伝統的な職人技や地域の素材、そして身近なデザインを新たな視点で捉え直しながら、建築表現の可能性を押し広げていった。
 

「国家による規制へのこの創造的な応答は、その後30年にわたる彼の家具づくりを方向づけることになる。」

ベントタ・ビーチ・ホテル (現シナモン・ベントタ・ビーチ),1969     

オランダ植民地時代の砦跡に建てられている

ベントタ・ビーチという青写真

ベントタ・ビーチ・ホテルは、創意工夫を試す実験の場であり、その成果を証明する作品でもあった。インド洋とベンタラ川に挟まれた砂州に建つこのホテルは、周囲の自然と一体化するように設計され、南アジアから東南アジアに至るホテルデザインの新たな基準を打ち立てた。建築そのものに加え、このホテルを特徴づけていたのは、空間全体に貫かれたトータルデザインだった。敷地内のあらゆる意匠は、バワ自身の手によって細部に至るまで選び抜かれていた。
 

「ジェフリーは、自ら設計した建築のインテリアに外部の人間が関わることを好まなかった。」バワの初期の弟子の一人であるイスメス・ラヒームは記している。このプロジェクトのために、バワは同僚や親交のあった芸術家たち、そして職人たちからなる小さなチームを編成した。絶え間ない協働を重ねながらものづくりを進めるこの手法は、その後の彼のデザインと創作活動を特徴づけるものとなっていく。

ベントタ・ビーチ・ホテルの天井を飾るバティック(ろうけつ染めの布地)は、バワの友人でもあった芸術家エナ・デ・シルヴァによるもの

バワがホテルの家具の多くを自ら設計したのには、いくつかの理由があった。空間全体に統一感をもたせたいという考えに加え、ホテルの予算は限られており、地元の家具製造の水準も十分ではなかった。さらに、バワが本来望んだであろう海外製家具の輸入も、政府の規制によって不可能だった。その思想を最もよく示しているのが、ホテルのロビーやラウンジで用いられた椅子である。バワは、スリランカでハンシ・プトゥワ、インドでプランターズ・チェアとして知られる、植民地時代を代表するベランダチェアを着想源とした。しかし、彼は肘掛けを取り払い、その椅子がもつゆったりとした座り心地と風通しのよさはそのままに、座る人同士がより自然に交流できる椅子へと再構成した。

ベントタ・ビーチ・ホテルのロビーに置かれたベントタ・ラウンジチェア。

この椅子はその後、スリランカを代表するデザインの名作として広く知られるようになった。時代とともにさまざまなバリエーションへと展開され、屋外用のスラット仕様もその一つである。バワはホテルのダイニングチェアも自らデザインしている。すっきりとした直線的なフレームに艶やかな黒の仕上げを施し、座面には、親友バーバラ・サンソーニが創業したテキスタイルブランド「Barefoot」のコットン生地を張った。これらの椅子は、1990年代の改修まで使い続けられた。
 

改修後のベントタ・ダイニングチェア。ベントタ・ビーチ・ホテルのローバーカウンターにて。

天井のファブリックもバーバラ・サンソーニ(Barefoot社)によるもの。バワは、特にホテル設計においてBarefoot製品をひいきにし、しばしばバルバラ・サンソーニを色彩のコンサルタントとして雇った。

バワの事務所兼自邸「No.11」に残されていたオリジナルのチェア。ファントム・ハンズの復刻版はこのオリジナルの風合いを再現している。

家具や装飾、アート、さらにはスタッフの制服に至るまで、空間を構成するあらゆる視覚的要素をバワが丁寧に統合していく。この包括的なアプローチは、その後の彼のあらゆるプロジェクトを特徴づけるものとなった。多くの意味で、ベントタはその後に続く仕事の原型となったのである。

 

バワのもとには、キャリアを通じて長く行動をともにした中核的な協働者たちがいる一方で、新たな仲間が加わっては去っていった。「世界中からインターンが集まっていました。イギリスの若者や、北欧、インドから来た人たちもいました。」そう語るのは、1991年にバワの事務所に加わり、後に最後のパートナーとなったチャナ・ダスワッテである。

建築を引き立てるオブジェ──バワのインテリアが残したレガシー

1960〜70年代、社会主義政権下のスリランカでは、海外への渡航は決して奨励されるものではなかった。それでも、バワは旅を続けていたとダスワッテは振り返る。1959年には、「リーダーシップ奨学プログラム」に参加してアメリカを訪れ、そこで初めてアメリカ大陸の建築家や建築に触れた。また、彼は熱心な読書家でもあり、世界各地に広がる友人たちのネットワークを通じて海外の雑誌を収集し、誰もが羨むような国際誌のコレクションを築いていた。
 

旅先で目にしたものや、こうした出版物を通して触れた美意識が、彼のデザイン感覚に影響を与えたことは想像に難くない。バワはしばしばデザインのアイデアを試し、磨き上げ、土地の状況に合わせて応用しながら、最終的に独自の「新しい」デザインへとたどり着いた。そのことは、彼が手がけた家具によく表れている。
ベルワラのネプチューン・ホテルのバーのためにデザインした木と革を組み合わせた《サドル・チェア》(デンマークのデザイナー、イルム・ヴィッケルソーによる1960年代の《スリング・ラウンジチェア》から着想を得た可能性がある)をはじめ、クラシックな《サファリ・チェア》(もともと英国陸軍の椅子をもとに考案されたもの)に着想を得た《ネクスト・ドア・カフェ・チェア》、さらにラッセル・ホールの特徴的な波形鋼板の家具への応答として生まれた《カンダラマ・ラウンジチェア》に至るまで、バワは既存のデザインを自在に取り入れ、再解釈し、そこから新たな着想を引き出していった。

ジェフリー・バワのデザイン・レガシー
──スリランカ・モダニズムの先駆者はいかにして南アジアの家具、インテリア、ホスピタリティを形づくったのか

サドル・チェア

Photograph by Martien Mulder

ジェフリー・バワのデザイン・レガシー
──スリランカ・モダニズムの先駆者はいかにして南アジアの家具、インテリア、ホスピタリティを形づくったのか

ネクスト・ドア・カフェ・チェア

Photograph by Martien Mulder

左が建築家ラッセル・ホールからバワへ贈られたチェア。バワはこのチェアを非常に気に入り、カンダラマ・ラウンジチェア(右奥)が生まれた。

この点は特筆に値する。バワのデザインは、ほとんど建築作品を通してのみ語られ、その一方で、同じく独創的であった家具やインテリアへのアプローチは、十分な評価を受けてこなかったからだ。バワが手がけた室内空間は、対比の積み重ねによって構成された重層的な風景だった。異なるフォルムが呼応し合い、南アジアのローカルな意匠と「グローバル」な要素が共存し、モダニズムの家具とアンティークが並置される。こうした手法は、ポストモダン・デザインがもたらした折衷的な表現に慣れた今日では、特別なものには映らないかもしれない。しかし、しばしば歴史的様式のパスティーシュに終始し、ともすれば拠り所を失いがちなポストモダンとは異なり、バワのインテリアにおける「対比」は、その時代や場所に深く根ざし、多文化的かつポストコロニアルな自身のアイデンティティを探究する営みでもあった。アートや彫刻、色彩、植物、家具――何を空間に配する場合であっても、それぞれの要素は、空間全体に対する彼のビジョンに奉仕していた。そこにこそ、バワのインテリアデザインの独自性があった。

 

この思想を物語る小さいながらも示唆に富む一例が、1992年にバワがブリティッシュ・カウンシルのために企画した展覧会『Objects That Enhance Architecture(建築を引き立てるオブジェ)』である。そのタイトルは、アートやオブジェ、家具に対する彼の考え方を端的に表している。それらは独立した作品ではなく、空間全体の体験を形づくる不可欠な要素だったのである。

カンダラマ・ホテルのロビーに置かれたカンダラマ・ラウンジチェア

レジリエンスを体現するオブジェ――バワの家具とものづくりの精神

2003年の夏、バワは83歳でこの世を去った。生前に手がけた家具の多くは、今なお、それぞれがデザインされた場所で使い続けられている。一方で、時の流れとともに失われたものもあれば、少なくとも二つは2004年の津波によって失われた。だが、残された家具が一堂に会したことは一度もなく、家具デザインに挑んだバワの歩みも、これまで本格的に語られることはなかった――今、このときまでは。

 

これらの物語は、スリランカ、そして南アジアにおけるものづくりの歴史を理解するうえで重要である。同時に、デザインが一国の文化的・政治的歩みにどのような影響を与え、またその歩みによってどのように形づくられてきたのかをたどる手がかりにもなる。バワの建築は、しばしば「トロピカル・モダニズム」という言葉でひとくくりに語られる。しかし、その呼称は、いまだグローバル・ノースを中心に語られがちなモダニズム史のなかで、彼の仕事の価値を静かに矮小化してしまう側面も持つ。それでもなお、彼の建築は南アジアと東南アジアにおいて大きな意味を持ち続けており、この地域のホスピタリティ建築の空間構成を一変させたと言っても過言ではない。
 

バワが活動した時代の多くを通じて、祖国スリランカは紛争のただ中にあった。1983年、彼が設計した新国会議事堂の開館から間もなく、内戦が勃発した。この紛争は26年に及び、彼の死後もなお6年間続いた。もっとも、バワ自身は政治にはほとんど関心を示さなかった。しかし、彼が収集した多様なオブジェや壁掛け作品、工芸品、さらには着想と実験を織り交ぜながら生み出した家具の数々には、多文化主義や国際主義への信念が映し出されている――そう考えることもできる。
 

さらに忘れてはならないのが、バワが築き上げた「つくり手たちの生態系」ともいえる創造のネットワークである。そのなかには著名な作り手もいれば、そうでない人々もいた。彼のデザインスタイルは、ル・コルビュジエに影響を受けたモダニズムから、クリティカル・ヴァナキュラー、そしてミニマリズムへと変化していった。しかし、興味深いデザインへの尽きることのない関心、土地や文脈、気候、素材へのまなざし、そして自身の構想を形にする人々への敬意は、生涯を通じて変わることはなかった。

 

総じて言えば、バワのデザインは、反抗ではなく、制約のなかで主体的に創造する営みだった。そのデザインに宿るレジリエンス、そして試行錯誤そのものを楽しむ姿勢は、バワの家具が、ものづくりの精神と創造への飽くなき意欲の証しであることを物語っている。それらは、暴力や国家による規制、限られた資源という状況のなかにあっても、なお育まれ得ることを、彼の家具は静かに示している。

バワの自邸「No.11」のゲストルーム。ファントム・ハンズはこの部屋の「No.11 Guest Suite Sofa」と「Bentota Lounge Chair」を復刻した。

※本記事は、ジェフリー・バワ財団と共に、バワの家具を世界で初めて復刻したインドの工房「ファントム・ハンズ」の許可を得て、同社公式サイトに掲載されている記事を日本語に翻訳・編集したものです。

原文:Geoffrey Bawa’s Design Legacy: How Sri Lanka’s Modernist Pioneer Shaped Furniture, Interiors, and Hospitality in South Asia

ファントム・ハンズが復刻するジェフリー・バワの家具や照明はこちらのリンク先より一覧をご覧いただけます。

「富山開催」ジェフリー・バワ展 ートロピカル・モダニズムの家具ー

企画展 

会期|2026年7月18日(土)-8月2日(日) 

   11:00-19:00  *会期中無休

会場|51%Store[11:00–19:00]

   富山市磯部町3-8-6 五割一分 2F
   tel 076-491-5151

   Instagram:@51.store

 

主催|株式会社五割一分 / ART MODERN JAPAN 株式会社

企画協力|Geoffrey Bawa Trust / Phantom Hands

51%五割一分とCASA DEの共催により、神戸・旧居留地にて初開催した「ジェフリー・バワ展 ― トロピカル・モダニズムの家具 ―」。

神戸に続き、東京・代々木での巡回展も多くの反響をいただいたことを受け、このたび富山での開催が決定いたしました。

富山会場は、ご来場予約不要となりますので、会期中、自由にご来場いただけます。