![ピエール・ジャンヌレと、
インドの高い手工芸技術で蘇る再生産プロジェクト。](/uploads/08/e5/08e5b3a5aeeb0024cc2afb1898a4e4e5.jpg)
インド・チャンディガールの建築群ために、Pierre Jeanneret(ピエール・ジャンヌレ)がデザインした一連の家具が、昨今、世界中のオークションハウスで異例の高値で取引されている。チャンディガール建築群は、モダニズム建築の巨匠 Le Corbusier(ル・コルビュジェ)が中心となって1951年から手がけた都市計画によるもの。2016年には世界遺産にも登録された。
2019年からは、そのチャンディガールの家具のリエディション(復刻)が、日本でも本格的に流通がスタートした。
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当時ピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)はチーク材やラタン(籐)といった地元に多く流通していた素材を使いながら、インドの伝統的な手工芸の技術を採用することで、現地の多くの人が製作できるようにデザインを行った。
そして2015年、インドの工房 Phantom Hands(ファントム・ハンズ)は、それらの家具を再編集するプロジェクトをスタート。
ジャンヌレの遺族へのコンタクト、法的アプローチの末、チークの古材を再利用し、オリジナルの図面が現存するプロダクトのみを忠実に復刻するに至った。
2021年現在では、ファントム・ハンズ社以外にもジャンヌレのリプロダクト品を生産する工房の後続が世界中で後を絶たないが、特筆すべきは、現代の一般的な工業製品としての復刻ではなく、当時と同じインドの手工芸に基づいた手作業による「工芸家具」という点でありながら、圧倒的な職人の技術と製品のクオリティの高さにある。
・ユートピア都市「チャンディガール都市計画」とは、いったい何だったのか?
・生涯コルビュジエの影を貫いたピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)とは誰だったのか?
・長年にわたって衰退したインドのジャンクヒープ(ゴミの山)だった家具の複雑な歴史とは?
・なぜ近年になって突然、高額で取引されるようになったのか?
この記事では、さまざまな角度からチャンディガールの家具について紐解きながら、この時代にあえて全行程を手仕事で作り出すファントム・ハンズのものづくりについて紹介する。
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偉大すぎる建築家 ル・コルビュジエ(Le Corbusier)と
生涯その影を貫いた天才 ピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)
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トレードマークは黒縁丸メガネに蝶ネクタイ。セルフプロデュース力にも優れ、発言にも非常に影響力があったル・コルビュジエ。
ル・コルビュジエ(Le Corbusier / 1887~1965)は、スイス生まれの建築家。「近代建築の三大巨匠」の一人として位置づけられる。画家としても活躍し、1918年頃から画家アメデ・オザンファンとともに「ピュリスム」を提唱。1922年にピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)と共同で建築事務所を開き、建築家 ル・コルビュジエとして本格的に活動を開始した。建築はほぼ独学であったが、石やレンガ積みの建物が主流だった時代に、鉄筋コンクリートを用いた建築理論をいくつも発表し、建築業界に革新的な影響を与える。2016年には、チャンディガールの建築群の他、世界7カ国で計17の建物が、世界遺産として登録された。
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謙虚で控えめな天才ピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)は、生涯コルビュジエの影を貫いた。コルビュジエの右腕であり「ディテールの達人」と呼ばれた。
ピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret / 1896~1967)は、スイスの建築家であり、コルビュジエとは9歳年下の従兄弟にあたる。同じコルビュジエ事務所のシャルロット・ペリアン(Charlotte Perriand)とコルビュジエの3人合作で発表した”LCシリーズ”に代表される家具デザインで知られるが、ル・コルビュジエの重要なパートナーとして、1922年からル・コルビュジエと事務所を共同で設立したことは意外と知られていない。専門的な建築知識を持ったジャンヌレは、特に技術面でコルビュジエを支えた。
2人の関係は非常に密で、1927年に入所したシャルロット・ペリアンの生前のインタビューの中で「ジャンヌレ無くしてはコルビュジエは存在せず、コルビュジエのいないジャンヌレはあり得なかった。でも歴史からジャンヌレはまったく消されてしまった」と語っているように、生涯コルビジュエの影を生きた言われている。
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外交的で広報上手なコルビュジエ(左)とは対照的に、シャイで内向的、名声欲は皆無だったというジャンヌレ(右)。だからこそ、生涯を通してコルビュジエの良き理解者として協働できたのかもしれない。
1947年 独立後・新生インドの
国家シンボルとして計画された、新州都チャンディガール
1947年、イギリスからのインド・パキスタン分離独立によって、インド側に新しい州都をつくる必要が生まれた。
パンジャブ州政府は、パリのル・コルビュジエ事務所に赴きチャンディガール地区の都市開発を依頼。ヒマラヤ山麓の手つかずの広大な敷地を、庁舎等の首都機能、商業、教育、住宅などの街区割り、道路、建築、家具に至るまでを一任した。
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チャンディガールは、現在では「国内で最も生活水準の高い人々が暮らし、インドで一番美しい街(街の愛称は “City Beautiful”)」だと言われている。
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議事堂
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高等裁判所
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美術館
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オープンハンド・モニュメント
建築の設計から現地での監督、家具デザイン まで
約15年間インドに滞在したピエール・ジャンヌレ
ル・コルビュジエがチャンディガール都市計画を引受ける条件の一つが、ピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)が現地で監督を行う事であった。議事堂、高等裁判所、合同庁舎などはコルビュジエが中心となって設計を行い、ピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)単独の設計では、パンジャブ大学やガンジー記念館(Gandhi Bhawan)、バスターミナル、ホテル、7000戸近くの集合住宅などがある。
コルビュジエが年に1~2回インドを訪問していたのに対して、ジャンヌレは1951年から約15年間インドに滞在し、当初のコミットメントの範囲をはるかに超え、チーフアーキテクトに就任するなど重要な役割を果たした。1965年には病気の為にスイスに戻り、2年後ジュネーブで死去。遺灰はジャンヌレの遺言により、チャンディガールのスクナ湖に散骨された。
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都市計画でつくられた人工湖・スクナ湖で、ジャンヌレ自作のボートで休暇を楽しむコルビュジエとジャンヌレ。
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チャンディガールを去る日のジャンヌレ。地元の人々をよく理解し、パンジャブ語をできる限り把握したと言われている。
ピエール・ジャンヌレによってデザインされた
チャンディガール建築群のための家具
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現在も現地で使用されるピエール・ジャンヌレの家具。
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建築に合わせて数千脚以上が当時製作された。
チャンディガール都市計画で特筆すべきは、建築群だけではない。建築内部で使われる家具はピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)が中心となって、建築に共鳴するように新たにデザインされた点である。
チャンディガール以外でジャンヌレがデザインした家具として知られるのは、シャルロット・ペリアンと、ル・コルビュジエとの合作として連名で発表したLCシリーズ(現在はカッシーナ社が復刻)の家具が知られているが、それ以外はあまり知られていない。
チャンディガールの家具に関して言えば、100種類以上に及ぶバリエーションがあるにもかかわらず、都市計画が始まって40年近く、コルビュジエの建築に注目が浴びることはあっても、チャンディガールの家具が世に知られる事はなかった。それどころか、現代的なプラスチック素材の椅子にとって替わられ、老朽化した木製の椅子は廃棄される事態さえ生む事になる。
40年以上忘れ去られていたチャンディガールの家具が
コレクターズアイテムとなった理由
現在では、チャンディガールの家具は、世界中の美術館がコレクションを開始し“Bonhams”や“サザビーズ”、 “WRIGHT”など業界有数のオークションハウスで、数十万~数百万、時には数千万円の値で競り落とされる。
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しかし、これらの家具が世界中で注目され始めたのは、近年のことである。1990年代から、それらの家具は時代とともに老朽化し、多くがスクラップ置き場や、街のあちこちに廃棄されてしまう運命を辿る。本来は、建築同様に慎重に保存すべき重要な文化財であるにも関わらず。
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チャンディガールの家具の複雑な歴史を追ったAmie Siegelの美しい映像作品 "Provenance" より
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数ルピー(10数円)のスクラップとして家具職人に売られ、あるいは薪として燃やされた。
それらを2000年代初頭から買付・収集し始めたのが、パリのいくつかのギャラリーである。彼らはジャン・プルーヴェ(Jean Prouvé)やシャルロット・ペリアン(Charlotte Perriand)等のデザインを見出したギャラリーとしてもよく知られていた。彼等は2010年から2015年にかけて立て続けにチャンディーガルの家具に関する作品集を出版し、エキシビション(展示会)を行なったのである。彼等こそが、永い間、偉大すぎる建築家ル・コルビュジエの影の中にいたジャンヌレを、21世紀へと引き上げたと言える。
そして、ラフ・シモンズ(Raf Simons)やジョセフ・ディラン(Joseph Dirand)、ヴィンセント・ヴァン・ダイセン(Vincent Van Duysen)といった影響力のあるクリエイターが注目し、広まっていった。
しかし、当然ながら世界的なジャンヌレ人気は、インド当局者の目を逃れなかった。現在では、インド政府が輸出を制限し、国の文化財としての保存を進めている。
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(左)Galerie54 / 2010年 (中)Galerie Patrick Seguin / 2014年 (右)Galerie Downtown / 2015年
当時の製作背景
ジャンヌレの家具は図面通り製作されていなかった
チャンディガールの家具が多くの他のヴィンテージ家具と異なるのは、「販売用として公式に製品化された事が無かった」点にもある。例えば、同じようにヴィンテージ家具市場で人気の高いフィン・ユールのオリジナルや、EKC製のポール・ケアホルムのプロダクト等は、基本的には販売用に生産されたものであり、メーカーや工房といった特定の製造業者が存在する。それに対して、チャンディガールの家具の"オリジナル”といえば、都市計画の建築群のためにデザインされた家具のみで、そもそも特定の製造業者にライセンス給与されたことがなく、販売用として公式に製作された事が無い。
素材はインドで古くから多く流通していたチーク材を使い、インドの伝統的な手工芸の技術を採用することで、工房の設備などに左右される事なく、複数の工房や職人など現地の多く人々が製作に携われるようにジャンヌレはデザインを行ったとも言われている。それは納期やコストの問題を解決する理由でもあったかもしれない。
1950年代に始まったチャンディガール都市計画のためにデザインされた一連の家具は、一般的にはピエー ル・ジャンヌレによるデザインとされているが、実際にはジャンヌレをリーダーとして現地のデザイナーや建築家たちによるデザインチームが組織され、多くの人が様々な家具のデザインや制作に携わっている。ジャンヌレがこれらの家具のデザイン言語を定義し、チームを監督したことは明らかではあるが、ジャンヌレが唯一の設計者であることを明確に特定する資料は残っていない。ジャンヌレ自身も、家具の著作性は その手で実際に製作していた地元の多くの職人にも同様に属していると考えていたと言われている。
ジャンヌレをリーダーとした家具の製作チームによって作成された家具図面は、単一のメーカーにライセンス供与されることはなく、家具はチャンディーガルを含むインド各地の複数の組織やコミュニティ、職人によって製造され、職人の判断や現場の状況に従ってデザインや素材をアレンジできると指示されていた。つまり、これらの作品は自由に複製することを目的とされた世界で初めての“オープンソースデザイン”であるとも言える。そして何年にも渡ってデザインがインド中に普及し、インドの他の都市の官公庁や私邸にも似た家具が見られるようになった。
その結果、同じ図面を元にするモデルに関わらず、様々な職人によって、木の太さや角度、製作方法の異なる非常に多くのバリエーションが作られた。近年は精巧に経年変化をもたせたコピー品も多く流通し、どれがオリジナル品であるかを見極める事はプロでも難しい。そして、オークションハウスでは、Provenance(来歴)のわかる状態の良いオリジナルのプロダクトは、より高額で取引されるアイテムとなったというわけである。さらにインド政府の輸出制限が、価格の高騰を加速させた。このような背景を持つ家具は、非常に稀である。
オリジナルデザインを正しく継承するためにスタートした「再生産プロジェクト」
チャンディガール都市計画が始まってから半世紀以上が経った2015年、インド・バンガロールの工房 ファントム・ハンズ(Phantom Hands)は、チャンディーガルの家具を再生産するプロジェクト「プロジェクト・チャンディガール」を始動させた。
ファントム・ハンズは、インド各地から呼び寄せた先鋭の職人が集まって運営されている会社である。木工職人は、インド北部ジャイプールの数世代にわたり木材加工を生業としてきたコミュニティから、籐編みの職人は、インド南部に位置するカライクディの単一の家族など。それぞれの職人が一台一台手作業で製作している。
ファントムハンズ(“幻の手”の意味)の社名は、家具を完璧につくり出す手業を象徴したものであるが、今ここにはいない先人たちの伝統的な手仕事や、それを継承した名もなき現代の職人を連想させる。
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オリジナルへの忠実性
前述の製作背景により、中にはオリジナルのデザイン哲学からかけ離れた品質の悪い製品も当時は多く見つかった。約半世紀の間、様々な職人によって多くのバリエーションが持続的に製作され、またインド国外でのヴィンテージ市場が混沌とした状況に置かれる中、ファントム・ハンズの創設者 ディーパック・シュリナートは、「オリジナルデザインの美しさを正しく継承するために、チャンディーガルの家具を作り直すことを決意した」と語っている。
さまざまな知的財産権の弁護士、アーキビスト、学者への法的な著作性の調査の末、ピエール・ジャンヌレの遺産を引き継いだ姪のジャクリーヌ・ジャンヌレと幾通もの手紙やメールを交わし、多くのアドバイスを受け、ついに2015年、「プロジェクト・チャンディガール」が始動した。
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素材
木材はオリジナルのデザインに沿ってミャンマー産のチーク材を使用。“本チーク"とも呼ばれる現在では貴重なミャンマー産チークの新材と、築100年以上の建物に使われていた古材の両方を製材して利用している。古くから世界一のチーク消費国であったインドに流通する古材についても、この200年インドで使われた多くのチーク材はミャンマー産である。
技法
現存するオリジナルの図面に沿い、一つ一つ職人の手で製作する。籐編みは、機械編みのシートを張るのではなく、アッサム地方産のものを手作業で裂き、1脚ずつ職人が椅子に直接編みこんでいる。コンピューター制御で加工を施すNCルーターでの家具製作が常識である昨今、ファントムハンズが作りだすものは、手仕事で生み出される“工芸家具”と言える。
ファントム・ハンズの代表 ディーパック・シュリナート氏は、『デザインと製作工程のオリジナルへの忠実性が、このチャンディガールコレクションに真正性を与えると信じています』と語る。
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ジャンヌレの家具のストーリーを
次世代へつなぐもう一つのプロジェクト
ファントム・ハンズによる「インドのモダニズム」と「高い手工芸の技術」の世界への発信は、ジャンヌレの再編集プロジェクトだけでは終わらない。2017年からは、ジャンヌレ以外の全く新しい家具の開発にも取り組んでいる。その一つが、ミラノを拠点に活動するデンマーク生まれのニルス・スバイエと、日本人 猪田恭子のデザインスタジオ「イノダ+スバイエ(INODA+SVEJE)」との協働である。このプロジェクトは、「プロジェクト・チャンディガール」以上に、手仕事の限界に挑むコラボレーションであり、デザイナーと職人の絶え間ないフィードバック・ループにより実現した。そして、ピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)の家具のストーリーを次世代に繋ぐデザインである。
イノダ+スバイエの2人が現地の工房を訪れたときの印象をこう語っています。「職人たちは木材を加工するとき、作業台に固定することなく床に座り込んで、手と時に足を駆使して作業しています。その仕事がとても正確な事に驚きました。僕たちの知らなかったものづくりの世界があったのです」(雑誌AXIS 2018年6月号より)
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![ピエール・ジャンヌレと、
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「デザインの遺産を引き継ぐためには、同じ言語、同じ製作哲学に従う、新しいプロダクトを生み出す事も同様に重要であると考えます。現代のデザイナーが、北欧モダンに敬意を表して新しい椅子をつくり続けるように。インドのモダニズムについても、同じ事がしたかったのです」(Phantom Hands創設者 ディーパック・シュリナートのブログより)
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ファントム・ハンズによって支援される
ピエール・ジャンヌレの研究プロジェクト
ピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)の仕事に関するアーカイブは現在、モントリオール(カナダ)に拠点を置く国際的な建築研究センターであるCCA(the Canadian Centre for Architecture)に保存されている。
8mに及ぶドキュメント、写真、図面などのアーカイブは、ピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)の姪である故ジャクリーヌ・ジャンヌレ(Jacqueline Jeanneret)とその遺族によって、2010年にCCAに寄贈されたものである。
ピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)の遺産相続人であり、同様に建築家でもあったジャクリーヌ・ジャンヌレが、それらをパリのル・コルビュジエ財団ではなくCCAに寄付するという決断は、巨大な建築家ル・コルビュジエとは独立して認められるべきだという気持ちの表れかもしれない。
ファントム・ハンズでは毎年、CCAに対してこれらのアーカイブのデジタル化に向けての貢献と、ピエール・ジャンヌレ(Pierre Jeanneret)の遺産を保存するための研究プロジェクトへの資金援助を行っている。つまり、ファントム・ハンズの売り上げの一部は、歴史の中に埋もれたピエール・ジャンヌレの功績を正しく保存・研究するために役立てられているということになる。
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ファントム・ハンズ社は、生前のジャクリーヌ・ジャンヌレと幾通もの手紙やメールを交わし、チャンディガールの家具の復刻に関して、多くのアドバイスを受けた。
Store Information
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東京・代々木公園の向かいにある51% Tokyoではピエール・ジャンヌレの家具コレクションを展示・販売しています。
51% Tokyo